教える側に立って初めて見えた自分の基礎の穴
調理師免許を取って数年が過ぎ、厨房で後輩を任されるようになったとき、私は自分の腕にそれなりの自信を持っていました。ところが実際に教える立場に立ってみると、体で覚えた動きを言葉にできない場面が次々と出てきて、ひどく戸惑うことになったのです。
たとえば下ごしらえで野菜を切りそろえる理由を尋ねられたとき、火の通りをそろえるためだと答えるまでに少し時間がかかりました。毎日当たり前に繰り返していた作業ほど、なぜそうするのかを意識しないまま手だけが動いていたのだと、そのとき初めて気づかされました。
資格の勉強をしていたころは、食品の性質や加熱による変化について一通り学んだはずでしたが、現場の忙しさの中でその知識はすっかり奥へしまい込まれていました。教える場面でそれを取り出そうとしても、言葉がつながらずに説明が途切れてしまうことが何度もありました。
後輩はまじめな人で、私が口にしたことをそのまま手帳に書き留めていましたが、その中には曖昧なまま伝えた内容も混ざっていたはずです。自分の理解の浅さがそのまま相手の学びの土台になってしまうと思うと、申し訳なさで胸が重くなる日が続きました。
振り返ると、料理の腕前と、それを人に伝える力とはまったく別のものだという当たり前の事実を、私は甘く見ていたのだと思います。手が覚えていることを言葉に置き換えるには、もう一度自分の仕事を一つずつほどいて見直す手間が欠かせませんでした。
教える側に回ったことで、自分がどこまでを理屈で理解し、どこから先を勘に頼っていたのかという境目が、思いがけずはっきり見えてきました。その境目を正直に認めることが、後輩にとっても自分にとっても、次の一歩を踏み出すための出発点になったのです。
当時の私は、先輩として格好の悪いところを見せたくないという気持ちが強く、わからないことを素直に口にする勇気が持てずにいました。その小さな見栄が、後輩の疑問を丁寧に受け止める機会を何度も逃す原因になっていたと、今でははっきり振り返ることができます。
もしあのとき、自分も一緒に調べ直そうと声をかけられていれば、後輩との距離はもっと早く縮まっていたかもしれません。教える立場とは答えを全部持っている立場ではなく、ともに学ぶ姿勢を見せる立場でもあるのだと、遅ればせながら学ぶことになりました。
手順だけを急いで伝え理由を省いてしまった失敗
忙しい営業の前に仕込みを教えるとき、私はつい手順だけを早口で伝え、なぜその順番なのかという説明を省いてしまうことがよくありました。後輩は言われた通りに手を動かしてくれましたが、少し条件が変わると途端に迷ってしまい、同じ質問を繰り返すことになったのです。
たとえば煮物の味付けで調味料を入れる順番を教えたとき、決まりごととしてだけ伝えたため、後輩は分量が変わった日に戸惑っていました。素材に味が染みる速さの違いという理由まで話していれば、自分で考えて調整できたはずだと思うと、今でも悔いが残ります。
手順だけを覚えた人は、うまくいかなかったときに原因を探す手がかりを持てず、ただ同じやり方を繰り返すしかなくなってしまいます。私は効率を優先したつもりでしたが、実際には後輩が自分の頭で考える力を育てる機会を、知らず知らずのうちに奪っていたのです。
ある日、後輩が揚げ物の温度を見誤って衣を焦がしてしまったとき、私は思わず強い口調で注意してしまいました。けれども油の温度を見分ける目安を、きちんと理由とあわせて伝えていなかったのは私のほうであり、責められるべきは教え方だったと後から気づきました。
理由を省くと、その場では早く仕事が進むように見えますが、結局は同じ説明を何度も繰り返すことになり、かえって時間がかかります。最初に少しだけ手を止めて背景を話しておくほうが、長い目で見れば厨房全体の流れを確かに滑らかにしてくれるのだと痛感しました。
後輩が自分から質問しなくなった時期があり、そのときになって初めて、私の説明が質問しにくい空気をつくっていたことに気づきました。答えを急ぐあまり相手の疑問を最後まで聞かずに遮ってしまう癖が、私には知らないうちに身についていたのだと思います。
料理の仕事には、言葉にしにくい感覚の部分がたしかにありますが、それでも理由を説明できる部分は思っている以上にたくさんあります。説明できるところは丁寧に言葉にし、感覚に頼る部分はその旨を正直に伝えるという線引きが、教えるうえでは大切だったのです。
この失敗をきっかけに、私は仕込みの前に一言だけでも理由を添えることを自分に課すようにしました。最初はぎこちなかった説明も、繰り返すうちに少しずつ要点を押さえた短い言葉にまとまっていき、後輩の手の動きにも迷いが減っていきました。
衛生の話を後回しにしたことへの深い後悔
後輩に教えるうえで、私がいちばん悔やんでいるのは、衛生にかかわる話を味や見た目の技術よりも後回しにしてしまったことです。おいしい料理を作る喜びを先に伝えたいという気持ちが強く、手洗いや器具の扱いについては、いずれ自然に身につくだろうと考えていました。
ところが実際には、忙しさの中で手洗いの回数が減ったり、まな板を使い分ける意識が薄れたりする場面が、後輩にも見られるようになりました。それは後輩の不注意というより、私自身が衛生の大切さを繰り返し言葉にしてこなかったことの表れだったのだと思います。
調理師免許の勉強では、食中毒の原因や予防の考え方について学ぶ機会がありましたが、私はそれを試験のための知識として扱ってしまっていました。現場で後輩に伝えるべき最も基本的な内容だったにもかかわらず、その価値を十分に理解していなかったことが悔やまれます。
幸いにも大きな事故にはつながりませんでしたが、冷蔵庫の温度管理が甘くなっていたことに先輩が気づいて指摘してくれた日がありました。そのとき私は、教える立場にある自分が誰よりも先に気づくべきだったと強く感じ、しばらく落ち込んだまま仕事を続けました。
衛生の話は地味で、教わる側にとっても退屈に感じられやすいため、伝え方には工夫がいるのだと今ならよくわかります。なぜその手順が必要なのかを、実際に起こりうる場面と結びつけて話すことで、後輩の表情が変わり、真剣に耳を傾けてくれるようになりました。
料理の味は多少のばらつきがあっても取り返しがききますが、衛生の失敗は一度起きると店の信頼を大きく損ないかねません。だからこそ、技術を教える前に、まず食べる人の安全を守る姿勢を共有することが、教える立場の人間に求められる最初の役目だったのです。
今では新しく入った人に対して、初日のうちに手洗いの手順や器具の使い分けを一緒に確かめる時間を設けるようにしています。細かな決まりについては店ごとの方針や公的な案内もあるため、自分の記憶だけに頼らず、資料を見ながら確認する習慣も大切にしています。
衛生を最初に伝えるようになってから、後輩たちの動きには落ち着きが生まれ、作業の区切りごとに自分から手を洗う姿も見られるようになりました。基本を先に固めておくことが、結果として料理の技術を安心して伸ばしていく土台になるのだと、ようやく実感できたのです。
失敗を踏まえて一から組み立て直した教え方
いくつもの失敗を重ねたあと、私は自分の教え方を一から見直そうと決め、まず自分が日々行っている作業を書き出すことから始めました。書き出してみると、意識せずに行っている確認や判断が驚くほど多く、それを後輩に伝えていなかったことがよくわかりました。
次に取り組んだのは、作業を教えるときに、見本を見せる、理由を話す、本人にやってもらうという三つの段階を必ず踏むことでした。この流れを守るだけで、後輩が途中で迷う場面がはっきり減り、私自身も何を伝え忘れたのかに気づきやすくなりました。
後輩がうまくできたときには、どこがよかったのかを具体的に言葉にして伝えるよう心がけるようにもなりました。ただ褒めるのではなく、包丁の角度や火加減の判断など、良かった点を指し示すことで、本人も自分の成長を確かな手応えとして感じられるようです。
失敗したときには、すぐに答えを示すのではなく、何が起きたと思うかを本人に先に考えてもらう時間を取るようにしました。少し時間はかかりますが、自分で原因にたどり着いた経験は記憶に残りやすく、同じ失敗を繰り返すことが目に見えて少なくなっていきました。
教え方を変えたことで、私自身も料理の基礎を改めて学び直すことになり、資格の勉強で触れた内容を読み返す機会が増えました。人に説明するために調べ直すと、以前は聞き流していた知識が現場の作業と結びつき、自分の仕事にも新しい発見が生まれていきました。
後輩との会話も少しずつ変わり、わからないことをその場で尋ねてくれるようになったのは、私にとって何よりうれしい変化でした。質問が増えるのは手間が増えることでもありますが、それだけ後輩が自分の仕事に真剣に向き合っている証しだと受け止めています。
今振り返ると、最初の失敗がなければ、私は教えることの難しさにも面白さにも気づかないまま過ごしていたかもしれません。悔いの残る経験ではありましたが、それを正直に見つめ直したことが、料理人として一段深いところへ進むきっかけになったのだと感じています。
教える立場は、自分の未熟さと向き合わされる立場でもありますが、その分だけ自分を育て直す機会にも恵まれた立場です。後輩の成長を間近で見守りながら、自分もまた学び続けていけることは、この仕事を続けるうえでの大きな励みになっています。
まとめ
後輩に教える立場になったとき、私は料理の腕前と人に伝える力とが別物であることを知らず、理由を省いた説明や見栄によって何度もつまずきました。その失敗を正直に振り返ったことが、自分の基礎を学び直し、教え方を組み立て直すための確かな出発点になったのだと考えています。
とくに悔やまれるのは、衛生にかかわる話を後回しにして、食べる人の安全を守る姿勢を最初に共有できなかったことでした。調理師免許の学びで触れた基本は、試験のためだけの知識ではなく、後輩に真っ先に手渡すべき現場の土台だったのだと今では理解しています。
見本を見せ、理由を話し、本人にやってもらうという段階を踏むようになってから、後輩の迷いは減り、質問も自然に増えていきました。良かった点を具体的に伝え、失敗の原因を本人に考えてもらう時間を取ることも、成長を支える大切な工夫になっています。
これから後輩を持つ人には、わからないことを一緒に調べ直す姿勢を見せることを、ためらわずに選んでほしいと心から願っています。制度や衛生の細かな決まりについては、自分の記憶に頼り切らず、公的な案内や職場の方針を確かめながら伝えることも忘れないでください。
教える立場は自分の未熟さと向き合う場でありながら、資格を得たあとも料理人として学び続けるための貴重な機会でもあります。私の後悔が、これから誰かに仕事を教えようとしている人にとって、少しでも遠回りを減らすための小さな手がかりになればうれしく思います。調理師免許のことならこちら