後輩に教える立場で犯してしまった失敗と調理師免許を持つ者としての反省

教える立場になったばかりのころの失敗

調理師免許を得てからしばらく経つと、後輩に手順を教えるという役割が回ってくることになります。はじめて教える立場に立ったころのことを思い返してみると、いまでも反省ばかりが浮かんでくるものです。

最初にしてしまった失敗は、自分が知っていることを一度に全て伝えようとしてしまったことでした。伝えた側はすっかり満足していたのですが、受け取る側の頭のなかは整理がつかないままで終わっていました。

次にしてしまった失敗は、なぜそうするのかを省いてしまい、手順だけを渡してしまったことになります。理由を知らないままに覚えた手順というものは、状況が少し変わっただけで使えなくなってしまいます。

また、できていない点ばかりを指摘してしまって、良い点を伝え忘れていた時期も確かにありました。指摘だけを受け取ることになった相手は自信を失ってしまい、質問すら出てこなくなってしまいました。

忙しい時間帯に長い説明を始めてしまったことも、いま思い返せば大きな失敗だったと言えるでしょう。相手の手がすっかり止まってしまい、かえって現場全体の流れを乱すことになってしまったからです。

自分が教わってきたやり方だけが正しいと思い込み、別のやり方を否定してしまったこともありました。相手が持っていたはずの良い工夫を、こちらの思い込みによって摘み取ってしまったことになります。

教える立場になったばかりのころは、自分の力を示したいという気持ちがどうしても先に立ちました。示したい気持ちが強くなるほど、相手の理解よりも自分の説明のほうが中心になってしまうものです。

こうした失敗はどれも、悪気があって起きたものではなく、単に経験の少なさから生じたものでした。それでも受け取った側にとっては、確かに大きな負担になっていたのだろうと思い返すことがあります。

失敗を数多く重ねたおかげで、教えるということの難しさと大切さを、身をもって知ることができました。難しさを知っている人ほど、相手の立場に立って言葉を選べるようになっていくものだと言えるでしょう。

伝わらなかったときに見落としていたこと

伝えたはずのことが伝わっていないと気づいたとき、原因を相手に求めてしまう時期が確かにありました。しかし落ち着いて振り返ってみると、見落としていたのはこちら側であることがほとんどだったのです。

見落としの一つ目は、相手がどこまで理解しているのかを確かめないままに話しはじめていたことです。出発点がずれてしまっていると、どれほど丁寧に説明したとしても、内容はうまく届いていきません。

二つ目は、一度に扱う内容の量があまりに多すぎて、相手が覚えきれなくなっていたということでした。人が一度に受け取れる量には限りがあるという当たり前のことを、すっかり忘れてしまっていたのです。

三つ目は、言葉だけで伝えようとしてしまい、実際にやって見せる場面をつくらなかったことでした。手を動かす仕事においては、まず見せてから言葉を添えるほうが、はるかに早く伝わっていくものです。

四つ目は、伝えたあとに相手から質問を受けるための時間を、まったく用意していなかったことでした。質問の時間があると、理解のずれがその場で見つかり、大きな行き違いを防ぐことができるはずです。

五つ目は、相手の様子を見ないままに、自分が予定していた内容を最後まで進めてしまったことでした。相手の表情や手の動きをよく見ていれば、途中で立ち止まるべきだと気づけたはずだと思い返しています。

こうした見落としに気づくことができたのは、後輩から正直な感想を聞かせてもらえたおかげでした。感想を率直に言ってもらえる関係を築いておくことが、教える側にとっては何より大切になっていきます。

伝わらなかった経験はとても苦いものですが、そこから学べることは驚くほど多いと感じているところです。うまく伝わったときよりも、伝わらなかったときのほうが、得られる気づきははるかに大きくなります。

伝わらない原因を自分の側に探すという習慣がついてから、教え方は少しずつ変わっていくことになりました。変わっていくその過程そのものが、資格を持って働くことの学びの一部だったのだと思い返しています。

後悔から学んだ教え方の組み立て直し

数々の後悔を経たあとで、教え方をあらためて組み立て直すことにしたのが、大きな転機になりました。組み立て直すといっても難しいことではなく、伝える順番と量を整えるだけの単純な作業になります。

まず、一度に伝える内容を一つだけに絞ったうえで、それ以外はあとに回すという決まりをつくりました。伝える量を絞ったことで相手の負担が減り、その場で身につく割合がはっきりと上がっていきました。

次に、やって見せてから言葉を添えるという順番に変えて、説明そのものを短くまとめるようにしました。見てから聞くという流れにしておくと、相手の頭のなかで像が結ばれやすくなっていくものだと言えます。

そのあとで相手に実際にやってもらい、こちらは黙って見守るという時間を必ず取るようにしました。黙って見ていると、どこでつまずいているのかがはっきりと見え、次に伝えるべき点が定まってきます。

終わりには、良かった点を先に伝えたうえで、次の課題を一つだけ渡すという形に変えていきました。良い点から入っていくと、相手は落ち着いて聞けるようになり、課題のほうも素直に受け取ってくれます。

また、伝える時間帯を選んで、忙しい最中を避けるという当たり前のことも徹底するようにしました。落ち着いた時間に短く伝えるほうが、内容ははるかによく届いていくものだと分かってきたからです。

決まりごとの内容については、自分の記憶だけで語ることをやめ、定められた案内を一緒に確かめました。一緒に確かめるという姿勢を見せておくと、相手も同じやり方を自然に身につけていってくれるものです。

組み立て直してからというもの、教えたことが定着するまでの時間が、目に見えて短くなっていきました。短くなった分だけ相手は早く戦力になっていき、職場全体の流れまで軽くなっていくことになりました。

後悔があったからこそ、この組み立て直しにたどり着くことができたのだと、いまでは考えています。失敗そのものは避けられないものですが、そこから何を取り出すのかは選べるのだと言えるでしょう。

教えることが自分を育てていく道筋

教える立場を続けていて気づいたのは、いちばん学んでいるのは実は自分自身だったということでした。人に向けて説明しようとすると、自分の理解の浅い部分がはっきりと見えてくることになるからです。

後輩から寄せられる素朴な問いは、これまで考えたこともなかった角度を運んできてくれるものです。答えられなかった問いを持ち帰って調べていくことで、自分の理解は確かに深まっていくことになりました。

また、教えるためには手順を言葉に置き換える必要があり、その作業そのものが良い訓練になります。言葉にできた分だけ、自分の動きからも無駄がなくなっていき、仕上がりの質も安定していきました。

教える相手が伸びていく様子を見ていると、自分も負けていられないという気持ちが生まれてきます。その気持ちが、止まりかけていた自分の学びというものを、もう一度動かしてくれることになりました。

さらに、教えた相手が別の誰かへ教えている場面に出会うと、静かな喜びが込み上げてくるものです。自分が渡したものが次の人へつながっていく光景は、この仕事の大きな報いだと感じているところです。

教えることを通じて、伝え方や聞き方といった、料理以外の力も少しずつ育っていくことになりました。育っていった力は、働く場所が変わったときにも役立ち、自分を確かに助けてくれることになります。

教える立場は負担でもありますが、引き受けた分だけ確かに返ってくるものがあると感じているところです。返ってくるものの大きさを知ってからというもの、頼まれたときに断ることがなくなっていきました。

免許を持っているということは、教える役割を担う機会が多くなるということでもあると言えるでしょう。その機会を自分の成長の場として受け取れる人は、長く伸び続けていくことができるはずだと言えます。

失敗も後悔も含めて、教えるという営みが自分を育ててくれたのだと、いまでは考えているところです。だからこそ、これからも臆することなく教える場へ立ち続けていきたいと強く思っているところです。

まとめ

後輩に教えるという立場に立ったばかりのころには、いま思い返してみても恥ずかしくなる失敗を数多く重ねてきました。一度に全てを伝えようとしてしまったり、その理由を省いたまま手順だけを渡してしまったりしたことが挙げられます。

伝わらなかったときに見落としていたのは、相手がどこまで理解しているのかを確かめないままに話し始めた点です。相手の表情や手の動きをよく見てさえいれば、途中で立ち止まるべきだったと気づけたはずだと感じているところです。

後悔を経たあとで組み立て直した教え方は、一度に伝える内容を一つだけに絞るという単純な工夫から始まりました。やって見せてから言葉を添え、そのあとで黙って見守る時間を取るようにするだけでも、定着の速さは変わってきます。

教える立場を長く続けてきて気づかされたのは、いちばん学んでいるのは実のところ自分自身だったということでした。答えられなかった問いを持ち帰って調べていくうちに、自分自身の理解は確かに深まっていくことになっていきます。

免許を取るための要件や手続きについては移り変わっていくため、断定して語ることのないよう気をつけたいものです。後輩へ伝えるときにも、公の窓口で確かめるよう勧めていく姿勢を保っておくことこそが、何よりの助けになります。

失敗も後悔も含めて、教えるという営みそのものが自分を育ててくれたのだと、いまではそのように感じているところです。臆することなく教える場へこれからも立ち続けていけば、料理の仕事はさらに深く豊かなものになっていくはずです。調理師免許のことならこちら